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ドゴン族の物語-神話作者の苦労を偲ぶ

お初にお目にかかります。円山まどかです。

円山は普段、お話を考えたり考えなかったりして過ごしております。

これはおおむね楽しいのですけども、ひとつ弊害があって、つまり一度お話の「作者」の立場を経験してしまいますと、作者のことを気にする癖がついてしまうのですね。
「○○さん、アシスタントがばっくれたとかいってたけど、なるほど絵が荒れてんなあ」
とか、
「ノロにかかって数日寝込んだっていってたけど、トーンで誤魔化してるところ多いなあ」
とか、うわあヤな読者だなあ。
いや、べつにゴシップばかりじゃないですよ。でも、ともかくお話のうしろに作者を透かし見てしまう。平たくいえば、素直でない。純粋でない。作者はなにを考えて書いたのか。なんって、国語の問題みたいなことをひとりでずっとやってるわけ。

なんの話かというと、つまり神話の作者が気になって仕方がないってことです。

神話の作者というと変に聞こえるけども、たとえば我が国の古事記なんかを見てみますと、まえがきに「原作/稗田阿礼 小説/太安万侶」と明記されております。
要するに、彼らが作家ってことになる。史実という体なわけですから、じゃあ、ノンフィクション作家だ。ノンフィクションの作者はノンフィクション作家でしょう。そういうことですね。

で。 古事記の話しといてなんですが、ところがいま円山がいちばん気になっているのは、日本からはなれはなれてアフリカの地に住まうひとびとの神話『水の神‐ドゴン族の神話的世界』(せりか書房)なのであります。

つっても、そも、ドゴン族とはなんの族よ。

というと、旧仏領西アフリカ(現マリ共和国)の断崖に住む少数民族。
未開人、野蛮人の代名詞みたいに思われていた彼らですが、フランス民族学の祖といえるマルセル・グリオールはこのドゴン人について、熱心に調査研究を繰り返しておりました。
すでに数冊の研究所を著していた彼はある時、老賢者・オゴテメリの家に三十三日の間招かれ、それまで謎だったドゴン族の神話を詳細に語り聞く天佑を得ます。
そうして、じつはその神話的世界が精緻な体系によって支えられ、且つ、プラトンの哲学、聖書にも匹敵する救済論を孕むものである、ということが明らかになったのであります。

ここまでが予備知識(まえがきに書いてある)。
んで、前述しましたよう悪癖のある円山、だれかなんてもはやわからないこの神話の作者のことが、とにかく気にかかってしかたがないわけですね。
なにしろこの本、徹頭徹尾「作者の創意工夫」のかたまりみたいな本なのです。

はじめに、この世界と人間をつくったのは唯一神アンマである。
太陽と月はアンマがつくった土器である。星は、空に投げた土の欠片である。
次いで、アンマが土を細く握り、これもやはり投げるとそれは南北に延び、東西に延びて手足をなし、巨大な女性の姿となった。蟻の巣穴がその性器で、陰核の場所には巨大な蟻塚が立っていた。
アンマは彼女を抱こうとしたが、彼女の中にある男性がその本性を顕し、勃起した蟻塚に阻まれてうまくゆかない。うまくない性交の結果、生まれたのは邪悪な牡のジャッカルであった。しかし、アンマの精液である「水」が地の胎内に染みており、結果として水の神(ただしくは精霊)である両性具有のノンモが誕生した。……

ドゴン神話における天地創造は、要約するとこのような状況から始まります。
性交の失敗については、我が国ではイザナキとイザナミの最初の性交が失敗に終わった例を思えば、典型的にも思えて馴染みやすいと申せましょう。

ていうか、最初の神は往々にして失敗しますね。聖書なんかを見てみても、人間を楽園から追放せざるを得なかったりする。
作劇作法というのでしょうか、俺TUEEEとはいかないあたりに、なんとかエンタメたらしめんという作者の苦労が偲ばれますね。唯一神だからってさ、なんでもかんでもすんなり出来てたんじゃあそこにドラマは生まれんのよ。聖書だって、「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」みたいな箇条書きが続いていて、面白くなってくるのは蛇がしゃしゃってきて神が失敗するあたりからじゃない。ていうか聖書ってプロット読んでる感じだよね。

話がそれましたけども、ともあれまず性交から始まったこの神話、じつに性に対するお話が続く。

たとえばその後、水の神ノンモは賢いので、「なんであいつマッパなんだよ」というまあまあ常識的な疑問を抱き、繊維を撚ってその恥部を隠します(これにより、人間は衣服を纏うことになる)。
ところがその矢先、例の不肖の息子ジャッカルがやってきて、その繊維に包含されたノンモの知恵を得るために蟻の巣=性器に侵入し、この近親相姦によってジャッカルは言葉と予言の能力を得、一方地は胎内から血を流す破目になる。

これはもちろん、女性の月経のことをいっているわけです。
ついでに近親相姦(・A・)イクナイ!!ということも示しているわけで、なかなかテクニカルな作劇作法といえましょう。

ふたたび二柱にご登場願いますと、イザナキとイザナミは兄妹であると、日本書紀には明記されております。
アダムとイヴだって、イヴがアダムの肋骨から生まれたことを考えますと、これははっきり近親相姦なわけです。

無の状態から人間を繁殖させるには、必ず近親相姦の段階がなければならない。
でも近親相姦はタブーであるから、それもまた説明しとかないといけない。プランクトンみたいになにも考えずぷちぷち分裂させてもいいけど、それじゃあだめなのです。「じゃあなんでおれら分裂できないの?」って読者からのお便りが寄せられてしまうのです。どこかでいいわけを用意しておかないと。

もし自分が神話の作者だったらと考えると、たぶん、このあたりで相当難産すると思われるのですね。

だれだろう、この神話の作者であるところの古代ドゴン人も、そうとう苦労したらしい。

唯一神アンマは「もういらねーよあんなビッチ」とばかりに地を見捨て(ひでえ)、またまた粘土で人間の男女を作り、今後は勝手に繁殖してもらうことに決めます。彼らは男性の中に女性があり、女性の中に男性があり、自分で自分と性交し、繁殖する能力を具えている。
親父がこんなだからでしょうか。アンマよりだいぶ冷静に育った水の神ノンモは、将来の人間たちが両性具有ではなく、兄であるところの牡のジャッカルと同様、単独の性を持たなければならないことを予見します。

ワーカホリックというか苦労性のノンモ、とりあえず性交を画策したり、人間を八家族組織したり、やっぱこれ辛いよ主におれがということで、その後も例の蟻の巣にはいって女性の子宮を調整したりと、親父の仕事を肩代わり(ていうか尻ぬぐい)するのでありました。

「ノンモはアンマの代わりに、アンマの仕事を行った」 とオゴテメリもいっておる。

そしてノンモの苦労は、おそらく作者の苦労でもある。あーでもないこーでもないとやっているうちに、エピソードが肥大化してしまうのはよくある現象でございます。単純に複雑なことを書くのが、もっとも冴えたやりかたなんですけどね。

とにかく。おかげで性器に対する理由づけが多いのも、ひとつの特徴です。
最初の人間といわずとも、人間が生じるためには男性と女性が互いの性器を使い、性交しなければならない。逆にいうなら、性交こそが人間を繁殖させる手段であり、経験則からいっても、これをまず神聖視するのは理の当然といえましょう。
性交は敬虔なおこないですよといいつつ、だからって手近な姉やら妹やらに手をだしちゃだめよということを、とにかく数日を割いて説明しまくるわけです。現代日本の同人作家に聞かせてやりたいですな。

オゴテメリがこの神話の作者なわけではない(ちょっとくらい盛ってるかもしれないけど)。この神話の作者がだれなのかはわからない。とにかくお疲れさま、といいたくなりませんか。

ところで、そのオゴテメリの話を活字化したこの本の冒頭は、このようにはじまります。

 ゴンドの平原からいきなり昇ってきた太陽が下オゴルの家々の平屋根を見下していた。鳥たちもすでに声をひそめ、太陽の輝きの前に沈黙している。スーダンにあるどの簡易宿泊所とも変わるところのないこの隊商宿の中庭では、最後の静かな一時が流れていた。……

なにこれ小説?
本当に小説なのです(しかも三人称)。あえてあらすじをつけるなら、

「フランス人民族学者グリオールは、いつものようにほかのメンバーとともに、ドゴンの地に赴いて祭祀の準備を待っていた。あるとき彼はかねて信頼関係を築いていた盲目の老賢者・オゴテメリの家に、ふいに招かれた。そしてオゴテメリは煙草に火をつけると、彼に不思議な話を語りはじめるのだった……」

的な。
たとえばさっきの神の失敗について本文では、

 オゴテメリは口を閉ざした。頭の上で両手を組んだままの姿勢で、彼は隣家の中庭や平屋根からやってくる様々な音に耳をそばだてていた。彼は世界の悲惨な始まりに、神の原初の失策の話にさしかかっていたのだった。
「もし誰かが私の話を聞いていたなら、私は贖いの牛を差し出さなくてはならないだろう」
 オゴテメリの声は次第に低くなっていった。もはや女の耳が問題なわけではない。他の鼓膜、物質ではないものでできた鼓膜が、この重大なことばを聞いてふるえるかもしれないのだ。……

と、このように記されます。小説が本職でない学者先生にしては、なかなかの名調子。

グリオールは、この神話的世界を広く世に伝えることこそが、オゴテメリに認められ、神話を伝授された自分の使命なのだと痛感しました。
学術書だと、学者以外には流布しづらい。なので、あえて一般人にも手にとりやすい小説の体裁をとることで、世に広め、くわえてそのときの雰囲気までも含め、真に迫った再現することを試みたのです。
外からでは窺い知ることができなかった神話の全容、それまでの調査により得ていた情報の断片が対話によってひとつの線に繋がってゆく昂奮を、読者もまた感じることができます。

とくに文体は三人称であり、彼は自分のことを「白人」やら「キリスト教の信奉者」やらと書く。
それにより、白人と黒人、キリスト教と未開人の神話の接触である、ということが極めてテクニカルに示されます。
結果として試みは成功し、それまで欧米の巷間、学会で信じられていた、いわゆる未開人に対する認識を大きく覆すこととなったのでありました。

この神話の作者、オゴテメリ、そしてマルセル・グリオールの、三者三様の苦労が偲ばれる本であるといえましょう。ついでにもはや社畜のように働く(じつはまだ働いてる)ノンモの苦労も。
「神話の背景を考察しましょう」だと、なんだか固くなる。「ああ、稗田のやつ〆切に追われてたんだろうなあ……」とか、野暮ったいこと考えながら神話を読んでみるのも、それはそれで一興といえるやもしれません。

円山まどかでした。


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